いつか笑って また再開 そう 絶対 .
2019年01月27日 国民的アイドルグループの嵐が2020年の年末に活動を休止するというニュースが日本を駆け巡りました。
"いつまでもいると思うな推しと親"
わかってた筈だった、永遠なんてないんだって。人ごとじゃないんだって。でも心のどこかであの5人はそんなことない、あり得ない、わたしには関係がないことだ。と
わたしが5人の活動休止を知ったのは母親からの連絡ででした。いつものおたくと遊んでいてアニメイトでアイドリッシュセブンのライブ映像を見ている時ケータイで時間を確認しようと開いたら信じたくない言葉が並んでいました。
隣にいたおたくにしがみ付いて待って、という言葉しか出てきませんでした。隣にいたおたくも待ってしか発さないわたしに困惑していてでも言葉が出なくて頭が真っ白になって周りの音がサァーッと遠くなっていくのがわかりました。その子にケータイの画面を見せるのが精一杯で手も足も震えて まずはちゃんと情報源を探そうと思いTwitterを開きました。
そこには5人のコメントがたくさん溢れかえっていて 嘘じゃないんだ 本当なんだ と嫌でも理解して気がついたらアニメイトの端っこで涙が溢れて止まらなくなっていました。
しばらく言葉が発さなくて 何も考えられなくて友人に支えられながらスタバに移動しました。
その間もTwitterで溢れかえる嵐活動休止の言葉
正直Twitterを見るのも辛かったです でも一つでも多く情報が欲しい、という感情の方が大きく辛いという感情を押し殺してTLを更新し続けました。
そこで目に付いた5人のコメント全文。
「 本当に僕は嵐のことが大好きですし、嵐のためだったら何だってできる 相葉雅紀 」
「 僕らはいつまでも嵐です 二宮和也 」
正直信じられなかったです。
今考えると最低だなと思います。けどあの時のわたしは自分以外のことを考える余裕が全くありませんでした。
とりあえずケータイを閉じました。
これ以上メソメソして落ち込んでいても今一緒にいてくれている友人に失礼だと思い3人でエイトピースを見ました
あの時ひとりだったら多分無理だった 一緒にいてくれたおたく達には感謝しかないです。
帰宅途中の電車 ひとりになってまた情報を集め始めました 気がついたらまた泣いてました 壁際に寄って髪の毛とマスクで顔を隠して 日曜日の割には人が少なかったのが唯一の救いでした。
地元着く頃には色々通り越して無。
涙も枯れたわ、って思いながら帰宅
けれど小学生の頃から一緒に応援をしていた母親の顔をみて数年ぶりに声を上げて泣いてしまいました。
わたしは悲しむ資格も泣く資格もないかもしれない。この事はまた後で書こうと思います。
今更気付く事が多すぎて自分でも馬鹿だなって思います。5人の存在がわたしの中でどれだけ大きかったのか痛いほどわかりました。
泣いているだけでも仕方がないので自分でも驚くくらいのスピードで荷解きを行い(2泊3日の帰りだった)こんな状況でも一丁前に空くお腹を満たしながらMr.サンデーで報じるであろう記者会見を待機していました。
記者会見を見るまでは活動休止なんて言葉だけ、きっともう事実上の解散なんだろうな。とかマイナスな事しか考えられませんでした。
その時ふとわたしの頭によぎったのは2012年嵐がメインパーソナリティだった24時間テレビの大野さんがメンバー4人に宛てた手紙
「 どんな時でも笑っていよう 」
「 この先の未来ずっと5人でいよう」
なんでなんでなんで どうして なんでなの
トップになろうって誓い合って 5人で並んで走ってきて どんな時でも笑っていよう 5人でいようって大野くんから言ってくれたじゃん どうして なんで 信じたくない
今見返すと本当に最低だったな 自分
でもこれがわたしのリアルな気持ちでした。
記者会見を見るまではね、
今まで生きてきた中で沢山の記者会見を見てきました。わたしが想像していた記者会見はスーツを着て難しい顔をする5人 そんな5人は見たくなかった 心無い質問をする記者も 何も知らないコメンテーターの言葉もいらなかった 5人の言葉を聞きたいけど見たくない そんな葛藤を抱きながら結局はMr.サンデーが始まった瞬間テレビに釘付けになりました。
わたしの目に映ったのは"嵐"でした。
何を言ってるかわからないと思うけど わたしもわかりません。
でもそこには"嵐"がいました。
嵐っぽい、って言ったらちょっと違うけど でも嵐っぽい記者会見だったなあって。
あれだけ負の感情しかなかったのに5人の言葉を聞いた瞬間心の溜まりがスーッと流れていきました。
" 一人減ってしまえばそれはもう嵐ではない "
まだ5人の中でその感情があってくれただけでわたしは救われた気がした。
確かに4人で"嵐"を続ける選択肢だってあったはず。でも選んだ道は4人で続けるくらいなら活動を休止するという道。
わたしは逆に4人で嵐を続けられていた方がショックだったしもう完璧この人達から離れていたんだろうなって今なら思えます。
解釈の一致ってこういうことを言うんだな。
一生ついて行きます。
個人的にものすごく泣いてしまったのは
着地する方向が決まった時の4人の言葉
「 最後まで笑っていよう 」
なんて人たちなんだって大野さんは言ってました ほんとなんて人たちなんでしょうね なんて素敵な人たちなんでしょう
わたしの中で勝手に 勝手にですよ?
さっきお話しさせてもらった2012年の24時間テレビの大野さんのメンバーに宛てた言葉
「 どんな時でも笑っていよう 」
この言葉の4人の返事に聞こえたんですよね。
「 どんな時でも笑っていよう 」
だからこそ
「 最後まで笑っていよう 」
ほんと、なんて人たちなんだろう
今ならさっき信じられない、って言っていた言葉も全部信じることができた
この5人はわたしが思ってる以上に強い絆があって確かに2020年の12月31日には嵐としての活動を休止してしまう。けど5人の絆はこれからも永遠に続いていくんだなあって。
記者会見を見終わった後は数時間前の自分が嘘だったかのように前向きになれた気がします。
次の日会社の人に心配されて泣いてしまったのは秘密です
月曜のNEWS ZERO
不意に2012年の大野くんからの手紙の映像が流れて膝を抱えて泣いてしまいました。
ずっとこの手紙のことを考えてたのに実際に映像を流されては泣くしかなかった。
櫻井翔くんの力強い「(復活は) あります、ありますよ」って言葉にまた救われました。
例えこれが優しい嘘でもいい、それでもその一言で救われました。
前向きになれた、とは言いましたが しばらく立ち直る事は出来ませんでした。この話もするとこれ以上に長くなってしまうのでまた違う機会に書きたいと思います。
わたしが出した結論は2020年の年末に後悔しないように行動する。
まだ2年、もう2年。
わたしが嵐を応援し始めてから約3600日
嵐の残り活動日数は約680日
わたしができることなんて無いと思うあったとしてもそれはとてもちっぽけなものだと思う。
直接伝える場が無いからこそ今までの感謝を声援という形で返して行きたい。
いつか伝えられる日が来るのであれば
貴方達はわたしの光でした 生きる希望でした 貴方達がいればなんだって乗り越えられる気がしました。 甘えているのが当たり前だなんて思ってごめんなさい 気付くのが遅くてごめんなさい。 貴方達がいる世代に、日本に生まれてこれたわたしは世界で一番の幸せ者です。
って伝えたいです。
5人が残してくれた2年という期間を大切にして突っ走って行こうと思います。
そして
いつか笑って また再開しましょう、絶対。